源頼朝さま・源義經さま、和合の舞
☆新型コロナウイルスの影響により延期しております☆
☆次回公演が決まりましたら、告知させていただきます☆
源頼朝(みなもとよりとも)さま、源義經(みなもとよしつね)さまの和合の舞いを
演目の一つにするべく動いています。
頼朝さまと義經さまはご兄弟で、共に平家を滅ぼしますが、
最後には、袂を分かち殺しあうことになってしまいます。
鎌倉時代を築いた源頼朝さまと、平家を打ち破った源義經さまは、
頼朝さま13歳、義經さま2歳の時に
平清盛に、父・源義朝(みなもとよしとも)が殺されてしまいます。
頼朝さまは流刑に、義經さまは母が平清盛の妾となることで命を救われます。
成長した二人は、打倒・平家に立ち上がります。
奇抜な戦略で連戦連勝の義經さまでしたが、
軍の秩序を重んじた頼朝さまは、なんの恩賞も与えませんでした。
そこに、後白河法皇が義經の武功に、褒賞として官職を与えたことから
兄弟の間に亀裂が入ってしまいます。
義經さまは、壇ノ浦の戦いで、平家を打倒したものの、
三種の神器を取り戻せなかったこと、
軍の規律を乱し手柄を独り占めしようとしていると
戦奉行から頼朝のもとに書状が届いたことから、
頼朝さまの怒りをかい、
鎌倉へ一歩も入ってはいけないと命を受けてしまいます。
義經さまは、頼朝様に忠誠を尽くす旨をつづった
「腰越状(こしごえじょう)」を送るも返事はありませんでした。
その後も行き違いが続き、頼朝さまは義經さまを討つために挙兵。
義經さまも迎え討とうとするも、
頼朝さまに逆らうものは既におらず、
義經さまは、奥州平泉で自害したと史実ではいわれています。
北海道各地には、義經公が実は生きていて
北上していたという伝説が各地に残されています。
その中でも、義經神社では、
義經公をハンガンカムイ義經公として祭っています。
義經さまが、生涯愛した女性といわれている静御前は
龍とつながっていますが、
頼朝さまもまた、八代龍王を信仰していました。
準備が整いましたら、
このお二人の和合の舞いを披露させていただきます。
詳しいご案内は、後日となります。
ご案内をご希望の方は、下記のフォームにご記入ください。
詳細が決まりましたら、個別にご案内いたします。